過去の体験談 その1
森 忠靖
私は都内で治療所を開業しており、
入門の動機は岩城さんが身体のケアの為に来院していた事によります。
岩城さんは色々な格闘技、武術を二十年に亘りやられている専門家でした。
私の治療所は外部からの出入りが多く、物騒な今の御時世です。
何か危険な事が起きたら自分の身を守る為にどうしたらいいか常々考えていましたが、
どのような方々に聞いても納得のいく答えはなく、とある武術家の方は「逃げるのが一番良い」
と言われましたが此処には逃げ場など無く、誰の言う事も今一つ私には腑に落ちませんでした。
しかし、私にも暴力を制する様な本物の武道が出来るものか、私はその時六十三歳でした。
私は岩城さんに相談しました。
「武道の稽古は進むに連れて、肉体的にも精神的にも段々楽なものとなっていきます」という、
言葉に感じるところがあり、後日、引き寄せられる様に稽古を見学させてもらいに行きました。
その日の稽古には二十代から三十代位の方々が指導を受けていました。
印象は私が思っていた、想像していたものとは違い、大変緊張感があり、
岩城さんの武道というものを初めて見せてもらい、武道とは一体何なんだろう?と思いました。
この時の神秘的で緊張感と凄みに満ちた印象に、(私に出来るだろうか)と不安も感じました。
しかし心の中ではメラメラと気力が芽生えるのを感じ、何の躊躇も無く入門しました。
稽古当日、若い格闘技出身の人達が三人ほどで稽古していましたが、
岩城さんに子供の様にあしらわれていて、緊張感があり、この頃は非公開の稽古で凄まじく、
皆出来る事は何でも試すといった感じで手加減など微塵も無く、ふと不安にもなりましたが、
決めた以上やれる所までやってみようと腹を括りました。
岩城さんは実際の稽古では無理をさせず、かといって甘くはなく、
私は身体の中に今までにない充実感を感じました。
今この文章を書いていて一年前の事を思い出すと笑いが止まらず、二年がアッという間です。
まず変わった事は一つや二つではなく、とても全ては書き表せません。
仕事でも今迄と違い、疲れが非常に少なく、疲れが少ないと患者さんに対する気力が充実し、
治療効果に歴然とした違いを感じる様になりました。
色々な事がありますが、自分の人生がキラキラ輝いている様な気がします。
稽古中の岩城さんの話は大変面白く、この“生雲”はまさに“岩城流”と言えるもので、
二十年に亘る研究と実践、そして天啓によって作り上げられたものだと、つくづく感じます。
この人はこの武道を直接的には誰にも教わっておらず、いつも突然の進境を見せます。
全ての悪い状況に対して対処出来る、最悪の場面をも織り込んだ究極とも思えるもので、
六十四歳の私が若い人達と立ち合っても、一目置かれる事もあるのです。
武道には歳は関係ないもの、言い訳にならないものと実感しています。
金縛りの様になって動けず、汗が滝の様にだらだらと流れて眩暈がし、
相手の身体から白い輪が出ていたり、正眼に構えている相手の身体が剣の中に消え、
何度目を凝らしても身体が消えてしまい、相手の切先は自分の目の前に見えたりします。
こちらの攻撃は全く遠くて届かなかったり、とんでもない方へ逸れたりします。
でも相手は目の前に来てるのです。
こんな事は時代劇の中でしか起きないと思っていましたが、
“生雲”においてこれはまだ初歩といってよく、ある過程でしかありません。
「無敵の状態と最弱の状態は見た目には同じ」という無の先の稽古を体験すると、
意識的にせよ無意識にせよ、こんな事が出来たら強いも弱いも意味が無いと感じます。
単純に見えてもとにかく奥が深いのです。
岩城さんは解り易く、解り易く、心から指導してくれています。感謝しています。
ともかく指導が素晴らしいです。
木刀で相手の木刀を断ち切り、よそ見をして説明しながら全力の突きに対して感応し、
何でも実践して見せます。
この人は神憑っており、十年以上の付き合いですが私からすると非常に神秘的な存在です。
武道の稽古を始めて2年と数ヶ月が過ぎた先日、私は街中で突然の実戦体験をしました。
自転車連れの三人の若者に因縁をつけられ絡まれたのです。
180センチ以上はある体格のいいその中の一人が「おい何だこの野郎」などと殺気立ち、
自転車を降りようとするかしないかの瞬間、私は相手の目の前に入っていたのです。
無の先の稽古でいう無拍子の状態で、何でそうしたのか分かりません。
しかし拍子を抜かれた様に相手は身動きが取れず、残りの二人も全く動けないでいました。
私は全くと言っていいほど恐怖を感じず、とても自由な心持でした。
やろうと思えばどうにでも出来る状態の中に自分がいて、相手の若者は、
「何かやってるんですか」などと言い出し、見る見るTシャツが汗でビッショリになり、
硬直状態になっているのが分かりました。
結果、すっかり意気を削がれた様子の相手と幾つかの言葉を交わし、何事も無く済みました。
自分も相手も怪我をしたり傷付いたりする事無く、遺恨を残す事も無く、私自身恐怖も無く、
無意識の内に身を護る事ができた事は私が求めていた事であり、とても感慨深く思っています。
少し前に田村君が殺傷沙汰を事前に阻止しましたが、
その時はカっとなった人が刃物を掴もうとした所を掴む前に制し、やはり誰も怪我する事無く、
又、その現場で普段どおりの心理状態で行動できたのは田村君だけでした。
今にして思うと生雲の武道、岩城さんは色々な意味で本当に凄い事をやっています。
私は職業上様々なジャンルの一流を見てきましたが、そのどれとも違う。
強い弱いの次元ではなく、日本古来の本物の武道が確かに此処にあるように思います。
それを疑いようもなく顕わにし、しきたりや作法、型、形式ではなく、技術ですらない、
おそらく最も深い日本文化の本質を岩城さんは実践しています。
岩城さんの指導に従うことで、私自身ここにきて俄かに人に話せない様な体験を経験し、
確信に至り、それによって今まで困難だった治療が可能になるなど、疑う余地がないのです。
この、理論や理屈で理解する次元とは明らかに異なる境地を正に徹底しているのが生雲です。
過去の体験談 その2
田村 篤識
武道とは、やってみなければ、体験してみなければ全く解らないと私は思います。
本物の武道に触れている“生雲”の人達全員も私と同じように感じている筈です。
どんなに鋭い観察力があろうと体験しなければその質に触れる事が出来ず、
頭の中で終わってしまい、何も出来ません。
実際に出来るように何かを会得したいと思うのであれば、素直さが必要です。
“言いなり”という低俗な解釈ではなく、できる人間ができない人間に教える、
という事について、そのまま受け止める、受け入れる素直さです。
できないから教わっているのであり、教えてもらっているのであって、
できるならば教わる必要はないのです。
事実体験を伴わない、できない人間の頭と常識で考える、想像する事は、
須らく見当違いなものであり、だからこそ言われた事を馬鹿正直に聞き、
やれと言われた事を馬鹿素直にやる。
これが学ぶ上で重要な取り組み方だと思います。
その点私は実証してくれる、やってみせてくれる先生に直接教わるという幸運に恵まれ、
その幸運は私のつまらぬ我、思考、想像などを瓦解させ、執着を捨て去らせてくれます。
殆どの場合、男という生き物は我が強く、負けん気で競争したがり、勝ちたがり、
威張りたがり、本能的に女性と違い、“強さ”への憧れが強い。
私が武道を学ぼうと思ったのも“強い”という事への憧れ、願望でした。
実際の稽古には段階があります。
見た事もない様な事をいきなりやれと言われても出来る筈がありません。
初心者なら初心者、中級者なら中級者、上級者なら上級者というように、
その人に合った段階での稽古というのが“質”を求める上では必要です。
私が驚いたのはこの“質”なのです。
今までの稽古で無駄と思われる事や、無意味なものは一つもありません。
それは私自身、必死に学んでいるという事が反映されているのかもしれない。
“これがなんの意味があるのか” “どういう事になるのか”と考えながらの稽古は、
“生雲”においては無駄な事で“質”を下げる事にしかなりません。
私は自分の感性に従い、言われた事をそのまま稽古するよう心掛けました。
“できない”私にできる事は、その段階でできる稽古を只ひたすらこなす事だけです。
それは武道を始めてから現在まで変わる事はありません。
初期の生雲の稽古は大きく分けて次のようなものでした。
・格闘技(打撃、組技、寝技)
・組討(接触における柔、崩し、対武器)
以下、武道に入る
・立ち合い(諸々の基礎、体験の後)
・剣による立ち合い(諸々の基礎、体験の後)
格闘技は無理をさせないのが基本ですが、これは殴る蹴るといったものの皮膚感覚、
衝撃や恐怖に馴れるために必要だと思います。
伊東氏曰く、「絶対に格闘技から入った方がいい」
柔は合気を含み、接触の瞬間実際に応用できるものと純然たる感覚芸であるものを識別する
感覚を身につけます。
“手の内”を作る稽古は苦しく、辛く、簡単に限界が来て、(もう諦めてしまおうか)と
自問自答となり、完全な自分との闘いです。
私の体験では全力で手を抜かない稽古を重ねていった結果、世間で言われている事の
様々な現象のカラクリが見え、識別が利く様になり、騙されなくなります。
そしてそれ以上でも以下でもなく、この手の稽古はそれ以上やる様な事ではありません。
そして武道の稽古に入っていきます。
立ち合い稽古では始め上手(うわて)と下手(したて)に分け、上手は原則無構え、
下手は自由最短で突き蹴り組みに入れるよう構え、上手の顎、首、胸元、腹、足、金的等、
任意の箇所を中心に狙い、駆け引きを用いて思い切りブッ叩く、思い切り打ち込みます。
上手はそれを避けるわけでも捌くわけでもなく、結果的に下手を躊躇させたり
伸びきらせたりしながら直撃を貰わないで下手を潰します。
これが筆舌し難い、とにかく難しいのです。
下手は手足が相手に一番近く届くよう構えるのに対し、上手は無防備で立っているため、
見た目では圧倒的に上手が不利なのですが、先生相手に実際に下手を持ち、丁寧に、
或は見境無く狙ってみると、当たらない、届かない、逸れる、固まる、忘れる、笑う、
色々な現象が自分の身に起きるのです。
気の稽古では集中すればするほど、狙えば狙うほど、潰される。
それは急に眩暈がしたり、息が上がったり、相手が霞んで見えたり、
間を置けば置いたでとにかく辛い状態になる。
「暗示には絶対にかかるなよ」と言われ、必ず当たると信じ、
何とか一発直撃を狙って踏み込んでは打ち、死に物狂いで狙っても、
どんどん当たらなくなるのです。
無の先の稽古に至っては、行こうと思った時にはもう潰されている。
何かすれば自爆する、というより遥かに間に合ってない事が分かるのです。
先手先手で動いても、まるで据え物でも切る様に入られる。
こっちは何かするどころか、何かする準備すら出来ない状態になっているのです。
さっぱり意味が解りませんでした。
集中し、油断もしてないのに、なぜ何にもする前に反応もできず潰されるのか。
しかし、起きている現象を、事実を無視して理由理屈を考えても仕方がないのです。
いや、むしろ起きている現象が大事なのです。
こういう事が実際に起こるんだという体験が貴重なのです。
下手をたくさん経験したら、次は上手です。
自分が下手を持っていて、感じたように上手を持ってみるのですが簡単にはいきません。
同じようにやってみるのですが、失敗ばかりです。
稽古が終わって家に帰ると、身体中にカラフルな無数のアザ・・・・・。
立ち合いでは自分を捨てなくてはなりません。技術も流儀も意図も目的も何もかもです。
思考、恐怖、我、自分で作り上げているものが相手の的となり、自分の邪魔となります。
ぶっ叩く気満々の相手に、打たれたくない、怖い、痛そう、などと考えていれば
間違いなくその通りに当たります。 庇うところには常に直撃します。
意識で攻めるとか、中心を取るとか、それは応じる相手や対象、力の働きに対してしか
意味を持たず、奥の稽古では単なる自滅行為でしかありません。
先生曰く、
「中心は無い、中心と言うなら中心でないところは無い。
中心という概念を作らない相手に対して 中心という概念を用いれば、
それは単なる止まった的になる」
立ち合いの中、あの緊張感の中で、その人その人の“自分”を捨てていくのです。
自分が縋っている自分、自分と思い込んでいる自分。
私は逃げたり避けたりする自分が許せず、相手の“突き”を貰い続けました。
毎回カラフルなアザ。
しかし、その結果、段々貰わなくなり、立ち合いの“間”というものが顕れ始めます。
稽古の中で、人それぞれ“気付く”瞬間というのがあります。
健康状態、状況、個人の進境に配慮しながらも、その瞬間を先生は見逃しません。
ここでは五十代、六十代の人も稽古していますが、たまに立ち合い稽古を通しでやります。
立ち合いの中で、六十代の森氏が無理攻めした所を右ストレートをカウンターで顔面に受け、
その一撃で鼻が曲がり出血、しかし森氏は怯まず、先生も止めません。
更に出た所を再びライトクロスの形で顎に貰い、腰砕けになり万事休すと思われました。
次の瞬間、先生は一言、「相打ちを狙う」
その瞬間、森氏は相手の激しい攻撃を寸断し、独特の”間”が出来、
相手は先程までと打って変わって森氏が“遠く”なり、思う様に出られなくなったのです。
森氏曰く、「あの一言で相手のやろうとしている事が急に見えるようになった」
極限状態の中で気付き、他には何も考えなかったという瞬間の無為の働きです。
最後に私の先生が話していた非常に考えさせられた事があります。
それはC・F・クラウゼヴィッツの戦争論における”暴力の絶対性”に関しての話でした。
今、巷の暴力が絡む事件では、暴力の被害に遭う側の感情、生活などは顧みられる事はなく、
法律は抑制効果とはなりえても事後処理的で、被害者も後の理不尽な怨恨を恐れます。
直面する暴力はある意味絶対的で、どんなに優れた理屈を並べても暴力の前に無力です。
“生雲”のコンセプトは「調和と自由」です。これこそが問題への答えとその鍵です。
自己に打ち克つ事を望み、求めるなら“生雲”はとても刺激的な道場だと思います。
自分が成長し上達するに連れ、自分の想像を遥かに上回った事をしていると思い知ります。
稽古は回りくどい事は無く、理に適ったものであり、親切、丁寧且つ無理が無い事は
誰もが認めるところではありますが、緩く、無意味で形骸化されたものではありません。
過去の体験談 その3
伊東 柾貴
もともと彼、“生雲”の主宰者、岩城氏との出会いは十年前に遡り、
某有名トレーニングジムにおいてだった。
彼は当時トレーニングジムのトレーナーを務めていた。
僕は当時、格闘技に夢中で身体を鍛える為にジムに通っていて岩城氏の指導を受け、
又、岩城氏は格闘技の経験者であり、そのセンスは一見してそれと解る通り尋常でなく、
行く先々でプロ、選手として嘱望されていたが本人はそういう方向には興味が無い様だった。
初心者だった僕にこれから格闘技を始める為の身体作りなどを親切にアドバイスしてくれたり、
時には技なども教えてくれ、いつの間にか親しくなった。
僕は当時、身体を鍛えると同時にグレイシー柔術を習い始めた。
初めて格闘技というものを体験した時でもあった。
面白さ半分、怖さ半分の気持ちが、いざ道場に行くと怖さの方が勝っていた。
僕は小柄で、道場生は殆ど自分よりデカく、ごつい奴ばかりだった。
中には外人も交じっていて、練習を見てると凄く迫力があり、その場の空気も違う。
いざスパーリングとなると身体が硬直して、思うように動かなかったのを今でも鮮明に覚えている。
やはり見るのと実際にやるのでは、あまりに違う事に驚かされた。
だがこの経験こそ、後に貴重な体験として残ったのは間違いないと思う。
ブラジル柔術やコンバットレスリングをかじり、岩城氏のトレーニング指導の下、
非公式ながらも納得のいく実績も出せた。
志願して始めた岩城氏との素手によるほぼ何でもありの二時間に及ぶスパーリングなど、
何回倒されたか覚えていないが、 これらの経験は大きな自信となった。
そして格闘技を十年余り続ける事になり、
心身共に自分なりに鍛えられたのではないかと思い、 僕の道場通いは終わった。
それから何年か経ち、岩城氏が常々口にしていた自家篭中の武道を実践し始めたが、
僕は古武道みたいなものはピンと来なかった、いや、解らなかった事を覚えている。
当時は僕の中では格闘技は強い=最強というイメージが強かった。
逆に古武道のようなものは地味で、形骸化され大人しいというイメージがあり、
僕には興味が湧かなかった。
その僕が今は「武道」に自ら励み、「生雲」の一員として精進している。
やはり身近で武道をやる環境がある事と、
岩城氏の武道が掛け値なしの本物で、自分自身が何か変化していく事。
それに自分の身は最低限自分で護りたい。
僕は身近に、この武道の骨子である岩城氏の禅、座禅を目の当たりにして、
何かとてつもない沈黙感によって高められた静寂のようなものが部屋全体、
空間に隅々まで行き渡る様な感じがし、表現出来ないエネルギーを感じた。
僕にはとてもショックで、それは今までに見た事も、聞いた事も無く、不思議でならなかった。
あの岩城氏から生じている雰囲気は何なんだと、何度も思った。
武道を体験するに及んで、まず体格や力など、そして格闘技で経験してきた技術などが全く関係無く、
“生雲”の武道においては意味を成さない事、つまり、身体を鍛えてるからどうとか、豪腕だろうが、
パンチ、キック、関節のレベルが達人だろうが意味がないと思った。
いや、意味がないというより全く違う所で全く違う事をしている様な、
こればかりは体験してみないと言葉では表現できない。
強いとか弱いとかではなく、それ以前のところで噛み合わない。
もちろんレベルによってはこれらを思わせる質感が違うかもしれないが、
ある程度やりこなしていくと自然とそれなりに身になっていく事だと思った。
一緒に稽古している中で五十代、六十代の人達もいて、年齢や体力に関係無く、
馬鹿素直に取り組めば誰でもそれ相応のものにはなるのかと思った。
僕も考えながらやっているうちはシックリこなかったけど、
考えてどうにかなる事でもないという事が 段々解ってきたり、周りの人達に言われて気付く事もあり、
そういった稽古をしている過程の中で実になっていくものだと確信できる。
僕自身変わった事は、まずこの武道というものが生きていく中で重要だと思う様になった。
それは今の世の中、いつ何時危険に遭遇するか分からない。
そして自分の身は自分にしか守れない。その瞬間、他人は助けてくれない。
少しでも危険を回避出来なければ命の保障もない。
自分にはその気が無くても、勝手に、理不尽に向こうの方から刃物や鉄拳が飛んでくる事もある。
やはりそういった状況でも応じる事が出来なければ、殺されるか大怪我をする。
警察も法律も事後処理しかしてくれない。
中にはケンカに自信があるとか、格闘技をやっているからなどと思う人もいると思う。
しかし、例え相手の方が弱くてボコボコにしたところで本当に勝ったと言えるのだろうか?
相手に大怪我や傷を負わせ、過剰防衛だのやれ慰謝料だの前科だの、或は怨恨だの。
最悪自分の家族まで巻き込み、犠牲にする事になる。
結果として、やはりそれでは負けなのです。
もし自分がこの“生雲”に出会っていなければ、そういった場面に直面した時、
殺されるか、メタメタにされるか、勝っても相手に大怪我をさせる事にしかならない。
格闘技を経験していても、生きるか死ぬかの緊迫状態では加減など分からない。
相手は殺す気で来ているかもしれない。 この辺は本当に難しい。
しかしこの武道においては極限状態でも普段と何ら変わらない心持で状況が見える様になってくる。
僕は武道をやっていく事で「考え方」が大きく変わったと思います。
気付いた事は一緒にやっている人達の凄まじい成長ぶりです。
未経験の人や中高年の人達が熱心に頑張っている。 皆一年くらいの期間で恐ろしく化ける。
「立ち合い」といって下手(したて)を持つ側がガチンコで好きな様に攻め、
それを無防備な上手(うわて)が何もさせずに仕留めるという稽古があります。
初めはのうちはパンチもタックルも思うように決まり、思い通りだったのが、
間を空けて久々に稽古に出てみると、 パンチは当らないわ、タックルには入れないわ、
やっている人じゃないと解らないんだけど「遠い」。
届かないって分かる、明らかに。
でも相手はいつでも僕に致命打を打ち込める所にいる。
またこの“突き”が格闘技的なパンチや突きと違って重く通る。
見た目はスピードもないし、力も入ってないが、これを食らうと身体が破壊された感じで残る。
これを本気で顔面に貰ったらと思うと想像がつく。
痛みや衝撃にはある程度慣れているし、ガマンできるけどこれは別物。
波はあるものの、一年程でここまで上達するんだなと、勿論そこには日々の稽古で痛い思いをしたり、
精神的にも悩んだりと常にあるだろうし、ここで完成というものは無いし、それなりの覚悟も必要で、
決して甘いものではない。
皆そういった努力の結晶が凝縮されての事だとは思うが、
今ではすっかり下手扱いされてしまう事もある。
岩城氏の印象は、まったく手の届かない雲の上の存在です。
長く見てきていますが人間的に鍛えの入った、色々な意味で神憑った人で、
僕の思う文武両道とは正にこういう人といったイメージです。
深く、広い独自の研究や実験により、実践して証明する“生雲”は岩城氏の表れの一つだと思います。
命を危険に晒す修行にも取り組み、奇跡的な体験によって得たものも決して出し惜しみ無く、
全てを見せますし伝授してくれます。
誰よりも進境著しく、突然別人の様に理解不能な成長を見せ、止まっているという事がありません。
またその人の「良さ」を最大限にまで伸ばして、その人らしさを武道だけではなく見出してくれる。
僕の友人でもあり、師匠でもあります。
今までは非公開だったので今後は多くの人に是非この武道の本物の素晴らしさを知って欲しいです。
過去の体験談 その4
渡辺 恵介
生来あまり体の強いほうではなく、そのことがコンプレックスであった私は、 幼少期から、武道や格闘技と呼ばれるものを多く体験してきました。 そのすべてが、「努力して、力と技を身につけて、それを拠り所にし、自分を強くしていく」 というもので、そうした価値観の中にいた私は、「稽古して強くなる」ということが、 唯一自分自身の拠り所になると信じていました。 ですが、肉体には限界があります。 残念ながら努力は徐々に行き詰まりを見せ、強くなるはずがむしろ体を壊していくことになります。 さらに、世の中にはもっと強い人間がたくさんいることを思い知らされ、 解消されるはずであったコンプレックスは、むしろ「自分はこれだけ鍛えたんだ」という、 実体の無いプライドと共に、大きく、強く、複雑になっていき、 気がついたときにはやけっぱちで粗暴な青年が一人出来上がっただけでした。 徐々に何かがおかしいと感じていくものの、それが何かは分からず、 その不安からさらに新たな拠り所を求め続け、あちこちの道場に入門したり、 体験や見学を行って歩きましたが、どれもこれも私の求めていたものとは異なっている気がして、 長続きはしませんでした。 そうしてあちこち求め歩き、ある時とうとう生雲の稽古にたどり着きます。 驚いたことに、生雲の稽古はこれまで行ってきた事とは逆の「なにもしない」こと。 何かを身に着け、それを拠り所にするのだと信じてきた私には、大きな衝撃でした。 しかし、これまでごく一部の達人にしかできない技だと思い込んでいた事が、生雲ではごく簡単に、 そして普通に、自分にも、それどころか入門間もない方にもできてしまう。 長年武道や格闘技を経験して、それなりに練習もつみ、しかしまったくたどり着かず、 自分にはできないとあきらめかけていたものが、ほんの小さな気づきと共に容易にできてしまう。 何かを身につけるというのが、単なる幻想に過ぎない事を知りました。 そして何よりも、これまで私を悩ませてきた、日常生活における思いわずらいが消え、 自分自身の情動に流されることがなくなり、本当に快適に生きられるようになりました。 自分の内側にある不安や、恐怖といった実在のないものたちに対処し続けなくても良いのは、 本当に楽です。 武道が、こうして腕力と関係ない日常生活に大いに役立つというのは、まるで想像しておらず、 いかに自分が本筋と離れたことに心血を注いでいきたかがわかりました。 また、私は整体師という職業柄、まずは自らが整っていなくてはいけないのですが、 これまでは情動に流されることが多く、自らを整えるために、努力を要する日々でした。 ここでも「努力して何かを得る」ことをしようとしていたのです。 そうして自分をコントロールしようとすればするほど、調子の波に左右されていました。 しかし、生雲で教えをうけていると、何の努力も苦痛もなく、 自分の状態が本当に整ってることに気がつきます。 整えようとするのではなく、すでに整っていることに気がつくのです。 当然施術効果も上がり、また、患者さんの本当に小さな変化を見逃しません。 長い回り道をしましたが、生雲に出会い、今やっと本当の事を教わっているのだと、 しみじみ感ています。
過去の体験談 その5
柳内 大輔
正直こんな事ができるのか、という興味と疑いが入門の動機でした。 わけのわからないまま接触しては崩され、言われた通りに自分もやろうとするができない。 稽古を始めて長い間そのような状態が続き、納得のいかないこともあったように思います。 それでも稽古の後は毎回頭から余計な考え事が無くなり、すっきりした気分になっていました。 稽古を休んだ時の方が、かえって精神的な疲れを感じるようになっていました。 徐々に稽古の内容で失敗する、できないということが自分の中で問題になり、 100%の成功を理想とする試行錯誤を始めるようになりました。 自らの希望による妄想が作り出した完璧な状態への期待と憧れ。 しかし、概念を持ち込んでは打ち砕かれることの繰り返しが続き、 それをまた概念で解釈し、わけが分からなくなる始末でした。 成功した時の言葉やイメージを頭の中に描いて動く、それを記憶し行使して失敗する、 失敗するとそれをやめようとしてまた頭を働かせ失敗する、と言った具合に。 驚くべき事に概念を行使しようとする限り、 その概念に基づいた行動の全てが現実を妨げていたのです。 自分の変化は、結果への反応に巻き込まれなくなったことで訪れたと思います。 それはまず失敗したと思っている自分に気づくということでした。 できる、できないではなく起きることが起きるという現実への理解と受容に至った時、 深い安堵感がありました。 起きている事そのもので在り続ける事。現象を分けて捉えない事。 周囲の人達が次々と上手に入るように、自分もその在りように決定的に気づく事。 そこへ決定的に戻りたいという焦りが募り始め、努力をすれば茫然自失に行き着き、 月日が過ぎ、これはもう、どうしようもないと思いました。 今、先達の言葉を読んで思うのは、自分はそれらを理解していたというよりは、 そういった考え方の一つとして受け入れていたに過ぎないということです。 今となってみれば、自分的受容や納得とは驚くほど関係がなかったなと思います。 しかし、生雲に於いて求める人が真摯に、誠実に取り組むことができるならば、 それは誰にでも訪れるものだと思います。 これは体験と目撃によって疑いようもないものです。