神の声に従う
タイトルは非常に怪しいものですが、
表現としてはまさに これしかないという感じでした。
久保さんや大岡さんも言及している10/9(木)の稽古では、
下手の意識を一気に上げる事をテーマにやっていました。
上手(うわて)でも新しい発見があったものの、
今回は下手(したて)で よい発見があったので一つ。
0から一気に100に上げるような極限的な下手というのは、
自意識だけでは難しいというのを感じました。
で、そこにタイトルの単語が出てくるのですが、
下手をやるものの、上手のように静かにしておく。
そうすると神の声が聞こえるのです。
そしてそれにタイムラグ0で従い、極限の下手を打ち込む。
まだ余地はあるものの、
0から100が成立したように感じます。
それはとても怖い瞬間でもあり、逃すと「!」と気づく。
でもこの神の声に全部委ねて打つと結構入れたりする。
(入れない場合があるのは上手が良すぎる)
この委ねは上手にのみ起こるのものだと思っていたのですが、
下手も突き詰めていけば同じなんですね。
稽古で要求される事は、上手も下手も同じなんだと感じます。
無論、神の声と言っても何か喋ってるわけではありません。
無時間的なある種の直感が、ふと生じるのです。
2014/10/12 植村 健司