「分からない」が分かっただけ
何が分かったかというと、
分からないという事が分かっただけです。
分からないというのは多少語弊があるかもしれません。
近しいのは「関係が無い」という事が分かったと言うべきか。
生雲ではとにもかくにも、ただ一つのことだけを、
手を変え品を変え、説明し、試しているだけです。
わずか一つだけです。 たったの一つだけなのです。
そこにいい加減気づいてしまいたいところです。
ただ一つのことが覚えられません。分かりません。
理解できません。もうそれを何年もやっています。
普通に考えて、それはもう「無理」ではないですか?
いい加減、諦めたい。気づきたい。
微細なところで残り続ける「分かった」という幻想に
早く気づけば良いなと思う次第です。
2016/2/15 植村 健司