聞くということ
「聞く」ということに対して根本的に間違っているように感じることが割とよくあります。
「聞く」ということは最も難しく、
最も簡単なことのように感じます。
そして基礎中の基礎でいて、実はこれだけしっかりしていれば
片付いていくのも早いのではないかと思うのです。
「聞く」ということができているかどうかは、
割と明確に見分けがつきます。
典型的にまずいパターンは、話を聞いた後に立合いに戻り、
むしろダメにする、ということが挙げられると思います。
割とこれ、経験ありますよね。
私も前によくこの経験があり、なんでだろう?
と思っていましたが、今だと考えるべくもなく、
「聞く」ことができていないだけです。
そこにあるのに、ただ聞くだけでいいのに、
頭で聞くから、盗もうとするから、台無しになってしまう。
出て行ってから帰ってくるのって大変なことだ。
そもそもそんな器用なことができるのか?と感じるくらいに。
そして今そんな悠長なことをしていては全く通用しない。
今更、頭で聞いて何が変わるというのでしょうか?
何が分かるのでしょうか?
そもそも聞けていたのなら、そんなことするはずもないのに。
先生が話されているときに、真剣に聞いているフリをやめて、
周りを観察してみてください。
何か感じるところがあるかもしれません。
何故先生が色々とたくさん話してくださるのか。
そこにあると思うのです。
それを台無しにしないで欲しいと願います。
2017/7/10 植村 健司