精査されるべき対象
できる・できないに価値を置いてしまうと、
できるようになった方法にすがってしまう。
方法を奪われると、どうしていいのかわからなくなる脆弱さ。
もはやそれができたところで、どうにもならない。
できる・できないに夢中になってしまい、
それ以外のことを学ばなかった。
無意味なものだけが手元に残る。
稽古での話の聞き方、学び方はとても重要だと思います。
言われていることを精査するその誰かを、
人は、なぜか精査する対象としてカウントしないものです。
いちばん精査されるべきその誰かだけは、
特別的例外になってしまうのは本当に不思議な事に思います。
話を聞いている個人的存在こそが、
その話の中の対象であること。
聞きながら瞬時に気づき、
その実証に取り組みながら聞くという行為が稽古ではないか、
と思うのです。
稽古の中に、話を聞く時間が含まれるのは当たり前のことで。
なにも自分が棒切れを持って動き回る事だけが稽古ではない、
とも思います。
2020/3/2 久保 真礼