日常
自分と思考の距離、自分と事象の距離を
認識してしまうことも妙なことだが、それとは逆に、
自分が思考や事象と一体であることを
”意識して行う”事も問題であろう。
それは一種の逃避かもしれない。
確かにこれまで稽古中、「相手と自分の間には境界などない」
という言葉を聞いた直後に自分の言い分が通ったり、
という経験は多々ある。
しかし、それを踏襲して依存しても意味はない。
それでも、距離を作った自分に気づき、
一体化を作り上げた自分に気づき、
極端な2つの技法の間を一日に何十回も往復する日々。
それを眺め、あきれる自分。
それによる疲労も絶望も感じないが、
何か足元にある大事なものを見過ごして生活している。
2020/7/26 下里 康志