2017/08/04
何もかも、逆
誤った自分への認識がそのままでいると、自分と他人は別々の
もので、その個々に価値があるとか無いとかいう価値観から
派生している問題を処理しながら生きて行く羽目に陥る。
いわば、ごく一般的な人生。
他の選択肢があるとも思えないほど当たり前の。
離れてみると、
そもそも個々に価値があるかないかは問題ではないし、
そもそも個なんてものが無い事が当たり前に感じる。
自分を攻撃してくるかに聞こえていた個の認識への指摘は、
個ではなくて全体共有しているただの記憶的認識への
指摘に過ぎない、と。
個をアイデンティティにして生きていると、
自分に生じる感覚的なもの、思考を、
自分で取捨選択できる支配権がある事を疑っていない。
だから人の話も取捨選択していく事を疑わない。
離れてみると、縁する話や感覚からは逃げられない事だけが
分かり、そう言ったものの全てをそのままにしてこそ、
個の素晴らしさが発揮される事を知る。
何もかもが逆なんだよ。
2017/4/19 久保 真礼
2017/08/03
残るもの
ここのところ、稽古の内容が変わってきました。
私は役割に恵まれ、下手をずっと取らせて頂いていましたが、
それこそが既にそのものなのだと振り返ってみて感じたので、
日記に書かせてもらうことにしました。
上手の方がどんどん良くなってきて、今まで通りの下手では
もう通用しない。
だから色々と工夫しました。
狙いを絞り高めて・・・爆発する。
これはもう随分前に見破られています。
そしてそれは随分と自分勝手な下手でした。
上手を取っているつもりで下手を取る。
これもどうも中途半端です。
どこか取り逃しがありました。
色々と試行錯誤しました。
でももう今はそれすらありません。
自分的な試行錯誤なんて悠長な事していては何も出来ません。
そして、今やっているのは一分の隙も作らずただ間断なく
上手と共にあり続ける。
やっていると言いながらも、やっている意識もありません。
自分の状態とか意識とかそんなものを挟む暇はありません。
自分なんかそっちのけで、ただ相手のみでした。
完全なる部分でしかない下手、ただそれだけでした。
それは結果的に今求められている上手と同じようでした。
何がそうさせたのか、結果だけを見れば下手を取り続けさせて
もらえたのがそうだったようにも思います。
けれど実はそうではなく、役割の中で試行錯誤しまくった。
その結果、なぜか自分的工夫を放棄することになり、
残ったものは相手、全体、仕事だけだった。
そしてそれをとにかく使って実験させ続けて貰えたこと、
それに尽きると感じます。
2016/5/23 植村 健司