散歩していて気づいたこと
わかるとか、
わからないとか、
ではないんだな。
2019/8/25 久保 真礼
沈黙している。
それは無意味な事に労力を注げなくなってしまうらしい。
そのような、抵抗力の喪失は、
組手の下手(したて)が崩れる時とよく似ている気がする。
だから、私は思い返すと愕然とする。
稽古で崩されると、
崩された事への理解を深めようとすることは一切なく、
崩されないように何度も立ち上がる方を
大事にし続けていた人の多かったことを。
とにかく、敗北がいやな人たち。
敗北を知りもしないくせに嫌がる人たち。
死に対しても同じなのだろう人たち。
あの在り方。
そこへ疑問を感じずにいるという事。
ずっと繰り返せば何かになれるという期待や思い込み。
いろんな事情は見え隠れする。
真実への抵抗を強めていたい事を、なぜそれを守る?
という、答えの出なさそうな事に対する疑問にありがちな、
あのどうにもならない感じ。
思い込みで物事を教わる事の無意味さを感じてしまう。
教わる、という事から、
教わらなくてはいけないと気づかないのかな、と苛立つ。
教わるという事を教わる必要が自分にはあるのだな、とか、
自分は何か違うことをしているんだな、と気づくことって、
完全なる自発性が伴わないと無理だな、と思う。
騙されていることに気づくためには、
必ず自分自身がハッとしないと始まらないから。
「いいですか、自分でハッとしてくださいよ」
なんて言われさえすれば、誰もがハッとできるんだろうか。
そんな偽物のハッ、
他人に指摘されて恥ずかしいからハッとしたふりをするとか、
意味ないし。
いろんな作為が、あまりにも馬鹿げている。
2019/8/25 久保 真礼
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