謎の視点
いつものように思考感情の取り扱いについて終始していたが、
どこからかを境にふと、それが無くなってしまった。
いや、無くなったのではなく、あるにはあるのだけど、
それはほんの刹那でそれが何か具体化する前に消えてしまう。
それ以降は思考感情に関して行ったり来たりが無くなり、
非常に楽だった。
感じ方としては、特に真新しいものではないが、
いつも戻っていた謎の視点に戻らない。
どんだけ しんどくて無意味なことをしていたんだと感じる。
2020/6/22 植村 健司
いつものように思考感情の取り扱いについて終始していたが、
どこからかを境にふと、それが無くなってしまった。
いや、無くなったのではなく、あるにはあるのだけど、
それはほんの刹那でそれが何か具体化する前に消えてしまう。
それ以降は思考感情に関して行ったり来たりが無くなり、
非常に楽だった。
感じ方としては、特に真新しいものではないが、
いつも戻っていた謎の視点に戻らない。
どんだけ しんどくて無意味なことをしていたんだと感じる。
2020/6/22 植村 健司
立ち会いにて行っている努力が、
そもそもずっと見当違いだったということに驚いた。
努力をかける方向が逆?
いや、それは今までずっとやってきたことで。
概念に収めようとするから、
右に左にぶつかって抜け出せないままなのだ。
稽古においては「やる」努力と
「やらないようにする」努力の繰り返し。
日常生活においては
「やらないようにする」方に振り回されっぱなし。
見ないふり。
今回改めて、
手掛かりも取っ掛かりも無いなと思い知らされました。
そしてきっとまた同じ事にハマる。
何年やろうが、もう知ったように思おうが関係がないし、
必ずそういう自分という虚偽に騙される。
だから、開示し、実践していきたい。
どんなに初歩的な事だと思おうが、
今出てくる疑問が現在地点そのものなのだから。
聞くことで当事者に成らなければ、他人のまま、
第三者のままだ。
2020/5/11 植村 健司
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