取り組む人
人との会話に、わかりやすく反応があります。
取り繕い、主張し、注目されたく、特別であろうとし、
コントロールしたがり、次はそうしないようにしようとする。
それをしている自分と同時に観察する意識がずっとあります。
2020/10/13 島村 美怜
人との会話に、わかりやすく反応があります。
取り繕い、主張し、注目されたく、特別であろうとし、
コントロールしたがり、次はそうしないようにしようとする。
それをしている自分と同時に観察する意識がずっとあります。
2020/10/13 島村 美怜
自分を滅するとか、消えてなくなるとか、
そんなイメージがあるかもしれない。
でも、仮にそうだとして、
じゃあそこで言っている自分とは何なのか、
定義そのものの妥当性を精査することを怠り、
イメージの探究とか、具現化を狙うって、
それはまるで自分の偏愛を実現したいだけの
十代の頃と同じ事を繰り返しているだけでは、と思う。
爪とか髪型とかに凝っているのと同じ感じの。
どうであれ、生きていく上で避けて通れないのは、
自分というものが何であるか?だと思うのですが。
自分が可愛くて仕方なければ、自分を追求する事になるし、
自分を憎んでいてもそうだし、無関心でも最悪そうかと思う。
その中で、追求しないことだけが、人の好きなことなんだな、
と思う。
終わらせるというよりは、増幅とかを好む。
なので、何にも取り組んでいない人たちは、
そもそも、自分が何を今感じているのかとか、
自分の特徴とかに絶望的に疎い。
自分、ではなくて、感情とか、そんなものに執心する。
逆に自分に無関心である事がさも良いかの様な価値観もある。
絶対にそんなことはない。
それはただの現実逃避の増幅に他ならない。
そしてそれを続けると感覚が鈍磨して、
本当に何も分からない人になっていく。
執着も、無関心も、どのみち現実逃避だと。
ちなみにここで言う自分とは主に個人的な自分という意味で。
そうでない自分も、結局はイメージなので全部一緒だと思う。
2020/9/29 久保 真礼
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