生雲の武道は 技術や理論を身につけるのでも、
腕力や体力をつけて強くなるのでもありません。
そんな事は 人間が無事に生きている事実と関係がないからです。
架空の想定や、人為的な理想の投影と関わらず、全ての妄想を捨て、
身心という法、その自由絶対の活動体としての在り様を究明します。
認識によって守られ、生きて来られたのではないことに気づきます。
承認や権威づけは無意味である事から 免許制度などを設けません。
また儀式的な事は一切行わず、従って礼儀作法や様式美は学べません。
禅の"要旨"を求めるならば、形式や思想、生活様式といった付属的な事は関係がありません。
誰かの真似をする必要も、事実に修正を加える必要もなく、何かを変える必要もありません。
"生雲"では"手付かずの事実"と関係がない宗教的オプションを、一切、持ち込まないのです。
回り道せず、只の事実である認識以前の在り様がどういうものかを"はっきり"させるのです。
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