生来あまり体の強いほうではなく、そのことがコンプレックスであった私は、 幼少期から、武道や格闘技と呼ばれるものを多く体験してきました。 そのすべてが、「努力して、力と技を身につけて、それを拠り所にし、自分を強くしていく」 というもので、そうした価値観の中にいた私は、「稽古して強くなる」ということが、 唯一自分自身の拠り所になると信じていました。 ですが、肉体には限界があります。 残念ながら努力は徐々に行き詰まりを見せ、強くなるはずがむしろ体を壊していくことになります。 さらに、世の中にはもっと強い人間がたくさんいることを思い知らされ、 解消されるはずであったコンプレックスは、むしろ「自分はこれだけ鍛えたんだ」という、 実体の無いプライドと共に、大きく、強く、複雑になっていき、 気がついたときにはやけっぱちで粗暴な青年が一人出来上がっただけでした。 徐々に何かがおかしいと感じていくものの、それが何かは分からず、 その不安からさらに新たな拠り所を求め続け、あちこちの道場に入門したり、 体験や見学を行って歩きましたが、どれもこれも私の求めていたものとは異なっている気がして、 長続きはしませんでした。 そうしてあちこち求め歩き、ある時とうとう生雲の稽古にたどり着きます。 驚いたことに、生雲の稽古はこれまで行ってきたこととは逆の、「無駄なことをやめていく」こと。 何かを身に着け、それを拠り所にするのだと信じてきた私には、大きな衝撃でした。 しかし、これまでごく一部の達人にしかできない技だと思い込んでいた事が、生雲ではごく簡単に、 そして普通に、自分にも、それどころか入門間もない方にもできてしまう。 長年武道や格闘技を経験して、それなりに練習もつみ、しかしまったくたどり着かず、 自分にはできないとあきらめかけていたものが、ほんの小さな気づきと共に容易にできてしまう。 何かを身につけるというのが、単なる幻想に過ぎない事を知りました。 そして何よりも、これまで私を悩ませてきた、日常生活における思いわずらいが消え、 自分自身の情動に流されることがなくなり、本当に快適に生きられるようになりました。 自分の内側にある不安や、恐怖といった実在のないものたちに対処し続けなくても良いのは、 本当に楽です。 武道が、こうして腕力と関係ない日常生活に大いに役立つというのは、まるで想像しておらず、 いかに自分が本筋と離れたことに心血を注いでいきたかがわかりました。 また、私は整体師という職業柄、まずは自らが整っていなくてはいけないのですが、 これまでは情動に流されることが多く、自らを整えるために、努力を要する日々でした。 ここでも「努力して何かを得る」ことをしようとしていたのです。 そうして自分をコントロールしようとすればするほど、調子の波に左右されていました。 しかし、生雲で教えをうけていると、何の努力も苦痛もなく、 自分の状態が本当に整ってることに気がつきます。 整えようとするのではなく、すでに整っていることに気がつくのです。 当然施術効果も上がり、また、患者さんの本当に小さな変化を見逃しません。 長い回り道をしましたが、生雲に出会い、今やっと本当の事を教わっているのだと、 しみじみ感ています。
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