賦与
昔から言われていて、
本当に今でもそうだと思うのだけれど、
自分が習っている事に意味を見つけようとしない事、
意味を被せようとしない事が大切なのではないかな、
と感じる。
そういう雑音さえなければ、
今こうして起きていることそのままに、
もしかしたら気づけるかもしれないのだから。
もちろん、意味を見つけようとしないのだから、
気づこうとするのも間違っている。
それは選ぶのではないのだった。
気づくことすら、与えられる事に従う以外、
無いらしかった。
必要だと思われる無限の受容性ですら、
与えられるかどうかだけだった。
誰の責任でもない事だから
気楽でもよさそうなものなのに、
どうやらそこは違っているらしい。
与えてくれるのを待たずとも、
不屈で無限な受容性であれば、
それはもうすでに与えられている。
2022/7/4 久保 真礼