何も知らない
何一つ知っていた事などなかった衝撃が大きすぎて、
目の前が明るくなり過ぎた。
そう。
一度として何かを知っていた事などなかったのだった。
今も、この先も。
自分のイメージや理想など棄てて、教わればいい。
触れていない人は、ただ拒絶しているだけなのだ。
2022/2/19 久保 真礼
何一つ知っていた事などなかった衝撃が大きすぎて、
目の前が明るくなり過ぎた。
そう。
一度として何かを知っていた事などなかったのだった。
今も、この先も。
自分のイメージや理想など棄てて、教わればいい。
触れていない人は、ただ拒絶しているだけなのだ。
2022/2/19 久保 真礼
自己にとって都合の良いものも、悪いものも、
目に映っている(と認識している)ものも、
映っていないものも、
聞こえている(と認識しているもの)ものも、
そうでないものも、自己も、自己以外も、
全て受け入れ、何か影響を及ぼそうともせず、
理解しようとする努力もしない。
その時の心持ちは、完全にフラットというより、
慈愛と信頼のような気がしました。
影響を及ぼさないからといって、無関心というのではなく、
むしろ目前のものすべてに夢中であるような気さえします。
そして、一瞬といえども自分の状態を気に掛ける余裕など
ないのだと思いました。
気にかけた瞬間にすべてが台無しになるような。
その一方で、それは何の意図も、努力も必要とせず、
そうしていることしかできない。
以前、眠っていて目覚める瞬間、
意識がはっきりする前の状態で居続けることが
できれば良いのに、と思ったことがありますが、
そのようなものも手順に過ぎない。
これまでの稽古においても、日常生活においても、
ほとんどの時間を自分の状態、そのあり方、手順、工夫、
手掛かりの発見と確認に費やしてきたような気がします。
このような努力や悩みが自分にとって深刻だと感じるか、
それを誤魔化すか、今ではどちらでも良いと感じますが、
それを選ぶこともできそうにないです。
プロセスが重要だとも思いませんが、
意図して回避することもできなそうです。
きついと感じる日々もあると思いますが、
それぞれの進み方があるのだと思いました。
2022/1/10 下里 康志
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