ふと思ったこと
頭の中も身体も空(カラ)になっているか。
空にするのではなく、なっていることを自覚する。
感じに行くのではなく、感じられているか。
それが感じられれば、そうでない部分は明確だ。
その時、日常のあり様と段差ができていないか。
それもやはり、段差がないことを自覚するのであって、
段差ができないように抑え込むことではない。
段差がないことにとまどう必要もない。
逆にとまどいがあるなら、ただ、とまどっていれば良い。
2017/2/18 下里 康志
頭の中も身体も空(カラ)になっているか。
空にするのではなく、なっていることを自覚する。
感じに行くのではなく、感じられているか。
それが感じられれば、そうでない部分は明確だ。
その時、日常のあり様と段差ができていないか。
それもやはり、段差がないことを自覚するのであって、
段差ができないように抑え込むことではない。
段差がないことにとまどう必要もない。
逆にとまどいがあるなら、ただ、とまどっていれば良い。
2017/2/18 下里 康志
このところ、仕事の関係先が騒がしく、
それに伴い職場も騒がしいが自分自身が騒がしい感じはない。
身体を緊張が走る感じがあるが、一瞬のことだ。
何かに対応していることもあるが、対応しないこともある。
どちらに転んでも、大きな問題は起きない。
決断したつもりもないが、
逆を選んでいればどうなっていたかは、あまり気にならない。
どうでも良いとは思わないが、こだわる対象とは思えない。
それでは、これからも上手く行くのか?
分からないがそれについて深く考えようという気にならない。
数か月後の出張に備えて英語学校に通うことを計画している。
それも、大して悩まずに。
何に備えて何に備えないか、何がそれを決めさせているのか?
悩まないから、自分は関与していないのか?
自分の身体のどこかで、その決定が行われているのか?
分からないことだらけだ。
問うてみても沈黙があるだけ。
2017/4/29 下里 康志
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