2020/06/03
わかる、とは
話を聞く、について。
直で聞く、と言うこと。
間に差し挟まないと言われても、
差し挟むことが当たり前のうちは、
何の事かすらわからないのかもしれず。
話を聞いてわかる、のわかるの意味が、
もう間違っていることを知ってほしい。
それはただの自分的な納得でしかなく、
それは自分にとって何の変容も齎さない事を。
要は、自分にとっての価値というものが
本当には価値など持たないということを。
繰り返しであり、
何かを台無しにしていくということを。
個人的理解の窒息は、良いことだと思います。
文字通り窒息的な体験だけに意味があります。
起きてしまった理解を否定しても意味がない。
2020/6/8 久保 真礼
2020/06/03
つかまらずに
全ての希望を捨てて立てと言われると、
絶望を持って来るのか…と、
個人的にはしばらく忘れてしまっている
一般的な習慣を思い出している。
良いの反対は悪い、が当たり前。
正しいの反対は間違い。
どちらでもない、ではない。
情報そのものと、
情報の持ち主であることの二つをさ迷う事で、
謎のエネルギーを生んでは消耗する仕組みに見える。
その仕組みを理解してもどうにもならない。
そうでないもの以外は
存在しない事実に突き当たる以外ない。
突き当たる存在すら存在しないと体験し、
“自分” という観念が消えてしまうまで。
だから、何にもつかまらずに立ってみるよう勧めたい。
でも、本当の独りを、なぜか人はとても恐れるらしい。
2020/5/27 久保 真礼