寝ぼけている間に
ここ数か月、朝、目覚めるのが早い。
医者に原因を尋ねれば、「加齢です!」 と言われるだろう。
体内時計が作動しているかのように、同じ時間に目覚める。
心理学者に尋ねれば「ストレスですね」 と言われるだろう。
これらは、事実かもしれないが、どうということはない。
それだけのことだ。
面白いと思うのは、目覚めた瞬間は何かを評価し、恐れ、
逆に安心し、喜ぶといった感情や思考が登場していない。
寝ている間に見た夢の分析も始まっていない。
たまたま、その時そうだったのかもしれない。
学のある人は、「まだ、脳が完全に目覚めていないからね。」
と言うかもしれない。
しかし、この間は不完全な状態ではないような気がする。
睡眠から覚醒へと変わる、移行状態でもないような気がする。
全力で走れと言われても無理だが。
底流にあるものはいつもそこにあり、
何かを主張することもない。
そこに何かを付け加えている。
このような考えは、研究としては面白いし、
わくわくさせてくれる。
それでも、それを大切にすると、それも足枷だろう。
学生時代に読んだ本に、
「観察しなければならない。
しかし、観察し、結果を評価しなければ学問にならない。
ただし、評価している間に事物は変化し、進行するので、
人は永遠に真理を把握することはできない」
というようなことが書かれていた。
絶望的なフレーズで、勉強なんて無意味だと思ったものだが、
捉え方の前提が間違っていた、とつくづく思う。
知ることによって得られるものは、常に不完全だが、
日常生活を営むために活用されるものであり、
否定や肯定の対象ではない。
We should make good use of them!
そう、使うだけだ。
2017/12/24 下里 康志