馬鹿げている
沈黙している。
それは無意味な事に労力を注げなくなってしまうらしい。
そのような、抵抗力の喪失は、
組手の下手(したて)が崩れる時とよく似ている気がする。
だから、私は思い返すと愕然とする。
稽古で崩されると、
崩された事への理解を深めようとすることは一切なく、
崩されないように何度も立ち上がる方を
大事にし続けていた人の多かったことを。
とにかく、敗北がいやな人たち。
敗北を知りもしないくせに嫌がる人たち。
死に対しても同じなのだろう人たち。
あの在り方。
そこへ疑問を感じずにいるという事。
ずっと繰り返せば何かになれるという期待や思い込み。
いろんな事情は見え隠れする。
真実への抵抗を強めていたい事を、なぜそれを守る?
という、答えの出なさそうな事に対する疑問にありがちな、
あのどうにもならない感じ。
思い込みで物事を教わる事の無意味さを感じてしまう。
教わる、という事から、
教わらなくてはいけないと気づかないのかな、と苛立つ。
教わるという事を教わる必要が自分にはあるのだな、とか、
自分は何か違うことをしているんだな、と気づくことって、
完全なる自発性が伴わないと無理だな、と思う。
騙されていることに気づくためには、
必ず自分自身がハッとしないと始まらないから。
「いいですか、自分でハッとしてくださいよ」
なんて言われさえすれば、誰もがハッとできるんだろうか。
そんな偽物のハッ、
他人に指摘されて恥ずかしいからハッとしたふりをするとか、
意味ないし。
いろんな作為が、あまりにも馬鹿げている。
2019/8/25 久保 真礼