なんと
本当に、なにも、関係ない。
それはとても説明できるとは思えない。
理解を超えているということを
何らかのイメージに代えることも特にできない。
こう言うと、その発見の持ち主がいるかのようだが、
そんなものがないから説明できるはずがないだけのこと。
なのに、この説明を誰か個人が得た情報と捉え、
追体験を目指すような取り組みに終始してしまうのは
残念なことだと思う。
あらゆることは、あると思う人への回答であって、
そのどれもが幻であること。
幻を肥やすことに加担したくない。自分のためにも。
ところで、迷う人が残っているとき、
迷っていることに気づけるのだろうか。
案外、夢の中にいるだけあって、
気づけないのではないかと思う。
そういうもののない時に初めて、
迷うおかしさに気づくだけで。
だから人は取り組まないことで
どんどん曇って埋没していくのだな、と思う。
2022/4/29 久保 真礼