上手と下手
立ち合いの稽古に於ける 生雲でいう上手(うわて)は、
考えると動けず、認識が介入した通りに撃ち込まれます。
同じく立ち合い稽古での 生雲でいう下手(したて)は、
素質と誠意がなければ成立せず、悉く上手に至りません。
最近は全体的に上手一辺倒でいく事が殆どとなりましたが、
良い下手は稽古において、上手の真偽を見破る試金石です。
上手が認識の介入によって居付き、停止した瞬間、
上手が自分でその事に気づくより速く撃ち込みます。
相手と一つになる事で自己を忘じ、自他の境が消える。
撃ち込むという役割が、作用となって果たされるのです。
相手は自分が事実から逸れ、認識の中に居たという事に、
撃たれて気づきますが、それも分からないのが殆どです。
認識を残した方が 事実に取り残されて必ず止まる。
逆に上手が確かだと、下手は何も出来ず、自崩れし、
その本物の作用に自ら身をもって触れる事ができます。
下手から崩れず、そのまま相上手になることもありますが、
何れにせよ、立ち合いは互いを点検する意味があるのです。
在り様がはっきりすれば、どんな自助努力も不能不要です。